青梅雨(あおつゆ)とは、うっとうしい梅雨時の雨を表現した素敵な言葉です。
6月のあんじゅ
6月の虹のかけはしオンラインわかちあい
今月末で今年の半分が過ぎたことになりますが、皆さまいかがお過ごしですか…
どんなにかなしくても
あの子をうしなって以来、決して望んでは居ないのに継続してしまう日常生活のなかに、
更に、決して望んでは居ない地雷が数えきれないほど埋め込まれていることを思い知らされた。
誕生日、入学式、卒業式、あの子と一緒に歩いた道‥‥‥
その日の気配を感じたりその光景を目にするたびに、不意に地雷を踏んでしまう。
ああ、もうすぐあの子の誕生日、
街なかで正装した親子連れが行き交う入学式シーズン、
今日は卒業式なのか、袴姿の女の子達が歩いている…
そうした光景が不意に視界に入って来る度にあの子を思い出して感情がこみあげて来る。
でも、
そんな月日が長く続いてもう10年以上も経った近ごろ、
こうした地雷にも変化があることに気づいた。
以前は、誕生日やセレモニーや具体的な場所など、 “わかりやすい地雷” が多かった。
だから、事前に心の準備をしてそれを踏まないように避けることが出来るようになっていった。
しかもそれが年月と共に段々上達していった。
だから少しずつ楽になっていたような気がする。
だけどその一方で、
“わかりにくい地雷” というものがあることに近頃気づきはじめた。
それらは具体的なセレモニー等とは無縁の、ほんのちょっとしたささやかなものだ。
それは曲のフレーズの一部だったり、マイナーな作家のかなり古い小説の背表紙だったり、
TVの映像に突然映し出される地方の景色だったり…と、
わかりにくくてほんのちょっとしたものばかりだ。
そういう地雷もかなりあって、しかもそれらは避けることが難しい。
出くわして踏んでしまうと、やはりたちまち沸き起こる感情の波を抑えられなくなる。
だけどそうした、“わかりにくい地雷” を踏むたびに近頃気づいたことがある。
かなしみの度合いや深さは以前と決して変わらないのだけれど、
そのかなしみが以前よりしーんと静かであること、
そして、そのかなしみの中で、
こんなにちょっとしたことなのにあの子にまた会えた、そんな気もして、
かなしみの中に、ほんのうっすらとした喜びの気持ちさえあるように思えることだ。
どんなにかなしくても、その中にあの子との思い出があって、
その思い出のなかであの子とまた会えるのならば、どんなにかなしくても構わない、
そんな風に近頃は思っている。
Y
5月のあんじゅ
毎年 この時期になるとつらくなります。
4月のあんじゅ
つい先日まで桜・桜の季節でしたが(桜が苦手だ。桜の季節が辛いという参加者もおります)
『虹のかけはしオンラインわかちあい』ご感想とお知らせ
思うこと
前回、ここで二次被害について書いたが、もう少し続ける。
気づいたこと
自分にとってあんじゅが大切で必要なことは、あの子がもうとうに居ないことと同様、私にとっては当たり前のことだ、そう思っていた。 だけど、先日久しぶりにやっと参加出来たあんじゅのわかちあいの場で、自分にとってのその必要の強さの度合いは、当たり前とか、そういう平易な度...
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あんじゅの代表また主催者でもある南山 (みなみやま) みどりさんは、 自死でお子さんを亡くされ、間もなく29年になろうとしています。 2007年に自死遺族による自助グループ「虹のかけはし」がうまれ、 2010年には自死で子どもを喪った親のつどい「あんじゅ」が スタートを切りま...
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今日のあんじゅも(いつもそうですが) とても貴重な、何ものにも代えがたい2時間となりました。 ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ あんじゅがあるから、こうして存在していられる。 あんじゅが心の支えになり、強い気持ちになる。 安心・安全な場所なので、...
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あんじゅの活動日には、数名のスタッフがおります。 参加者が、快適にあんじゅの時間を過ごせるよう、 濃やかな心遣いで私たちを支えてくださいます。 会場のセッティングや茶菓の準備等・・・ いつも感謝の気持ちでいっぱいです。 そして、わかちあいの時間になるとスタッ...






