あんじゅ参加者からのメッセージ

暑い日が続きますがいかがお過ごしですか...

明日は8月のあんじゅ活動日です。14時に会場でお待ちしていますので、ぜひご参加ください。


 直前となりましたが、「あんじゅ」に参加してくださっているAちゃんパパから、ご自身の思いを丁寧に綴ったメッセージをいただきました。「出身地や名前などを伏せて、もし皆さんのお役に立つのであれば使ってください」とお言葉をいただきましたので、ご本人の思いを大切にしながら、一部をご紹介します。




「自分が正しい」と信じ続けた私が、「あんじゅ」で気づいたこと


 私は、自営業を休眠させ、別の仕事を模索していましたが、なかなか思うようにいかず、つなぎのつもりで数十年ぶりに会社員に戻りました。

自営業時代と比べて収入は10分の1程度になり、生活も決して楽ではありません。それでも現在の会社を続けながら、「あんじゅ」に参加する時間を大切にしています。

 その理由の一つは、妻が人と話せる時間を持てるようになったことです。もともと妻は、人に自分の意見を伝えることが苦手で、緊張しやすい人でした。それが、次女を喪ったことで、さらに話せなくなってしまいました。けれど「あんじゅ」に来ることで、妻がコミュニティを持ち、時には笑って人と話している。そして、そんな妻の話を皆さんが親身になって聴いてくださっている。それだけで、私が「あんじゅ」に参加する目的の半分以上は満たされています。

 そして「あんじゅ」は私自身にとっても、大きな意味を持つ場所になっています。

 私はこれまで何十年も「自分が正しい」と信じ、自分の信念を曲げずに生きてきました。承認欲求も強く、自己満足感も高かったと思います。どれだけ叩かれても、自分の信念を貫くことが正しいと思い続けてきました。しかし、その結果、家族を、そして次女を苦しませてしまいました。次女は、現状から脱出したかったのだと思います。それなのに私は、そのことに気づけず、その都度、次女の傷に絆創膏を貼るような行動しか選択できませんでした。

 次女に寄り添うことができず、最後には、親として頼れない存在にまでなってしまいました。そして、次女は亡くなりました。


「あんじゅ」に出会い、皆さんのお話を聞かせていただく中で、私はこれまで気づくことのできなかった自分自身の不甲斐なさに、少しずつ気づかされています。

 以前は「話すこと」が仕事だった私ですが、今では毎日ほとんど話さなくなりました。それでも「あんじゅ」に来た時だけは、人と話すことができます。ここで皆さんのお話を聞くことで、自分自身を冷静に振り返り、これまでのことを反省し、それを少しずつ言葉にできるようになってきました。


「大きくなったら長女を頼むね」と言い続けてしまったこと


 長女には生まれつき知的障害があり、私は昔から次女に「大きくなったら長女を頼むね」と言い続けてきました。しかし、それも間違っていたのではないかと、「あんじゅ」に来て気づかされました。本来、「大きくなったら長女を頼むね」と次女に託すのではなく、長女に障害があるからこそ、次女には、普通の姉妹として過ごせる幸せな時間を、私たち親ができる限り与えるべきだったのだと思います。親として担うべきことを、次女に託してしまっていたのです。

 優しい姉、仲の良い姉妹を持つ友達も、次女にはたくさんいたと思います。その光景を見るたびに、次女は自分の未来を明るく考えることができなかったのかもしれません。私は、親として自分たちがするべきことを次女に託すのではなく、知的障害のある姉を持つ妹である次女に寄り添い、幸せな時間をたくさん与えるべきでした。それなのに私は、一般的な家庭よりも収入を上げ、たくさんの贅沢を経験させれば何とかなると思っていました。今振り返れば、本当に浅はかな考えで、何十年もの間、親としてまともな選択ができなかったのだと思います。


妻のため、そして次女のために、そして残された長女のために


 私が「あんじゅ」に参加しているのは、妻と次女だけでなく、長女のためでもあります。

これも「あんじゅ」に来てわかったことです。

 私達夫婦は「あんじゅ」に来て次女の話を聞いて頂き、そして皆さんの貴重なお話を聞かせて頂き、自分自身の止まってしまった心、過去にしか向けることが出来ない心を、自然と前向きにして頂けたと思っています。しかし、同じ悲しみと苦しみや辛さを持っている長女は誰にも相談出来る場がありません。知的障害と言ってもグレーゾーンに近いので一般的な心と思考を兼ね備えている分、色々な気遣いや優しさから私達親にも相談はしづらいのだと思います。だからこそ「あんじゅ」で助けられた私達、親が長女にとっての「あんじゅ」にならなければいけない、と思いながら日々長女に寄り添っています。

すると、近頃の長女は笑顔が増えて、自立心も増えて来たと感じています。これも強い優しさを持っていた次女から私達、親への教えだと、とても強い感覚で感じています。そして、少しでも次女の安らぎにつながるかもしれないと思って「あんじゅ」に参加しています。

 勝手ながら、「あんじゅ」で出会った皆さんの娘さん、息子さんと、私の次女が、この世界ではないところでコミュニティを持ち、安らかに過ごせることにつながればと思い、参加しています。

 また、私自身も、次女の素晴らしさを皆さんに聞いていただきながら、皆さんのお話を聞かせていただくことで、自分が気づけなかったことに気づき、反省につなげることができています。そして、いつも「この子ならどう考えて、どう行動するだろうか」と考えます。そうすると、「あんじゅ」での自分の言動や行動も、自然と決まってくるのだと思います。

 私がしていることは、無理をしているわけではありません。妻がここでコミュニティを持てていること。私でなければなかなか心情を話せない妻が、時には笑って他の人と話せていること。そして、その妻の話を皆さんが親身になって聴いてくださっていること。

私達親が帰宅してから長女にとっての「あんじゅ」になろうと言う意識が持てたこと。それだけで、私にとっては大きな意味があります。


「次女をよろしくお願い致します」
最後に次女ちゃんについて、こんな言葉を寄せてくださいました。

 次女は、この世界でとても多くの徳を積んだ人です。いつも自分よりも相手のことを考え、優しい言葉をかけてくれました。たくさんの方を笑顔にし、幸せにしてくれた、素晴らしい大人の女性です。

「常に自分のことよりも相手のことを考えて行動して、優しい言葉をたくさんかけてくれて、みんなを笑顔にしてくれて、多くの人達を幸せにしてくれた次女をよろしくお願い致します」



そう言って、メッセージを結んでくださいました。今回いただいたお話には、深い後悔だけではなく、そこから何かを学び、これからの人との関わりに生かしていこうとする強い思いが込められていました。

ご自身の経験や気づきを、誰かの役に立つのであればと、私たちに託してくださったこと。

そして、亡くなられた次女ちゃんへの深い愛情と、今もなお大切に思い続けているお気持ち。

その一つひとつを、私たちも大切に受け止めていきたいと思います。

南山

気づいたこと



    
 自分にとってあんじゅが大切で必要なことは、あの子がもうとうに居ないことと同様、私にとっては当たり前のことだ、そう思っていた。

 

だけど、先日久しぶりにやっと参加出来たあんじゅのわかちあいの場で、自分にとってのその必要の強さの度合いは、当たり前とか、そういう平易な度合いではないのだと痛い程思い知ることになった。

 

あの子が私を置いてきぼりにして死んでしまってからもう10年以上が過ぎた。

 

以来、「かなしみ」というものは、緊迫感とか質とか深さとか‥‥様々、姿を変えるものだということを知った。そしてかなしみは、様々な姿をしてずっと私のなかにいる。

 

あの子が死んだ、それ以上のかなしみはないのだけれど、その緊迫感の強さでそれに近いかなしみと苦しみが長い間あった。それは、私と共に残された、あの子の姉までもを失ってしまいそうな状況がもたらすものだった。

 

当時のその絶望的な状況を、当時のあんじゅのわかちあいで皆さんに告白することが出来たこと、そしてこれ以上無い程親身で的確な助言を貰ったこと、その後結果的に乗り越えられたこと‥‥どれも、また、あんじゅのおかげだ。私は、あんじゅに恩義がある。

 

その恩義とともに、当時のあの苦しい状況を忘れたことはない。そもそも、忘れられっこない。

 

ある意味で、あの子の姉は私以上に、あの子の死でぼろぼろになっている。未だに精神科の通院と服薬が欠かせない。

 

生き残ってくれた、そしてこうして今も何とか生きていてくれるあの子の姉のことも、日常の波の中で過去の記憶の範囲に場所を移し、もしかしたら私の中で当たり前になっていたのかも知れない。

 

だけど、久々に参加できたわかちあいで、残されたきょうだいのことも、どんなにか心配し、親として強く思い続ける方々がいた。

どんなに辛いだろう、苦しいだろう‥‥。死んでしまった子へのかなしみをかなしむことすら出来ないほどの、つらさや苦しさだろう‥‥

当時の自分のことが瞬時によみがえってきたのは言うまでもない。

 

そして更に強く私に押し寄せた感情は、生き残ってくれた、そして今も生きてくれているあの子の姉への、親としての思いだった。

 

 

わかちあいに毎回遅刻し、その上2ヶ月ほどわかちあいに参加することが出来なかった理由は、通常の仕事もあるが、それ以外に増えた日常的な困難だった。それは始めるまえからわかっていたので、何とか頑張ってやっていた。

だけど、やっぱり心身共にきつかったのかもしれない。時間や労力を注ぎ続けるばかりの日常。

 

先日のあのわかちいあいで、やっと、やっと、開始時刻から参加出来、そんな日常から離れて、あの子とそれを考えることに身を浸せることが出来た。

 

でもそれだけではなかった。

 

共に残されたきょうだいを思ってどんなにか辛く苦しいだろうかたがた、その話に触れて、

私は、あの子の姉への、押し寄せるような「大変だったよね。今でも大変だよね。それなのに生きててくれてありがとう」そんな気持ちが押し寄せて、なんだか泣けて仕方がなかった。

後から、日々をやり過ごすことで精一杯の日常で、子供達のことへの思いに静かに身を浸すことも無かったんだろう、だから良い意味でも悪い意味でも泣くことも無かったんだろう、と、やっと気付くことが出来た。

 

わかちあいの時間は、いつも気付けば早々に終わりを告げるので、そんなに長い間泣いていた訳では無かった筈なのに、不思議なことに翌日ずっと私の両目は腫れていた。でもその理由はすぐにわかった。

 

私は、久しぶりに、深く深く泣いたのだろう、あの子達を思って。

 

腫れた目で、そして、あんじゅがこんなにも自分に必要なことも、痛い程またわかって、鏡の中の自分に笑いかけた。


                                            Y


 

 

7月のあんじゅ

 7月7日は七夕でした。  

織姫と彦星は、無事に逢うことができたのでしょうか?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

私もあの子に逢いたい。1年に一度でもいいから逢いたい。

逢えたら、思い切りギュッとする!

「苦しい」と言われても放さない。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

昨日も厳しい暑さの一日でしたが、

そんな中、母・父が集い貴重な2時間を過ごしました。


暑くても、まるで木陰のようにホッとできる場所・・

その木陰に行けば、突っ張っていた肩の力を抜き、

深呼吸できる。

それがあんじゅです。(あんじゅは天使という意味のフランス語です)


友人や身内そして家族にすら話せないことも

ここでは聴いてもらえます、共有できます。

私たちにとって、あんじゅの2時間は何よりも大切なのです。

仕事を持っている参加者も多くおります。

皆、(毎月第3水曜日の2時から4時の)あんじゅに参加できるよう

色々と調整を重ねているのです。


「数か月ぶりにようやく参加できた」と嬉しそうに話す者もおりました。

このように私たちは、あんじゅを中心にした生活・時間を送っています。

あんじゅがあるから、外の世界でなんとかやっていけるのです。


自分のことより他者を優先した子どもたち。

そんなこころ優しい子どもたちの目に、この世の中はどう映っていたのでしょう。

少しいい加減な部分があれば、自死を選ぶことはなかったのでは・・・

今日も、少人数のグループでのわかちあいを持ち、

帰るころには、どの参加者も澱を落としたすっきりとした表情になっていました。


水分補給を心がけ、熱中症には充分気をつけましょう。

そして、あんじゅの合言葉イヤなことはしない!!】を忘れずに!

また来月


#イヤなことはしない #おかしな世の中






6月のあんじゅ

 今日は、梅雨どきの中、真夏のように暑い一日でした。

    

あんじゅには数名のスタッフさんがおります。

  





スタッフの方々は、会場の設営・飲みものや菓子の準備等々・・・

私たちが心おきなく2時間を過ごせるよう、濃やかな心遣いをしてくださっています。

そして、わかちあいの時間には一旦退席されるのです。

スタッフさんたちのお蔭で、私たち参加者はまるで【実家のようなあんじゅ】の時間を過ごすことができるのです。

今日も、少人数に分かれてわかちあいの時間を持ちました。
どのグループも涙あり・笑いありで、話題は尽きることがありません。
      

★あんじゅというこの空間に身を置くことだけで、気持ちが安まる。
★子どもとの思い出の場所へ行きたいが、なかなか実行できない。
 が、以前「あんじゅの前に行くと後が安心」との発言がとても参考になった。    
 いつもと違うことをするとき、「この後あんじゅがある」と思うと、
 とても心強いものがあります。

散会の前に、各自一言ずつ「子ども自慢」をしました。
イケメン、かわいい、誰にでも優しい・・・
みんなみんな、とてもよい子です。
自慢の子どもたちです。


私たちの自慢の子どもたち!空から見ていますか??
母も父も、あなたたちが大好きです
いつも、いつまでも想っています。
私たちは一生懸命生きています!

体調を崩さないよう、しっかり気をつけて
また来月元気な笑顔で集まれますように。

  #気持ちが安まる #子どもたち



5月のあんじゅ

 先週の日曜日・5月10日は母の日でした。
   
 





そして、6月21日には父の日があります。

毎年この時季になると、思います。

私はあの子にとって良い母・良い父だっただろうか・・・

どうしても、自分を責めてしまいます。

でも、でも

私たちは生きています。

大切な大好きな子どもを喪ってもこうして生きています。

後追いの衝動にも負けず、1ヶ月に一度のあんじゅを心の支えとして

少しでも笑顔で過ごそうとしています。

・・空の子どもたちを、もうこれ以上苦しめたくない。

  うつむくより笑顔で楽しく過ごしている私たちでいたい。・・

だから、私たちは決して悪い母親・父親ではないのです!


そんな母・父が集まっての活動日でした。


今日も、少人数のグループに分かれて、わかちあいの時間を持ちました。

・・あの時ああしていれば、あんなことを言わなければ・・

  【たられば】ですが。

そんなことを話せるのは、ここ・あんじゅだけです。

外の世界の方々には、私たちの気持ちは分かっていただけないと考えています。

それは無理のないことですが、

あんじゅ以外では、子どもの話はしないという参加者が多いのです。

これ以上辛い思いはイヤです!!


あんじゅは、こんな場所・時間です。

お独りで苦しんでおられる方へ!

あんじゅへいらしてください。

ここには仲間がいます。


 #仲間 #辛い思い




4月のあんじゅ

 今は春・・・春は桜

   

確かに桜は春の象徴のひとつですが、

私たちあんじゅの参加者にとっては、辛くイヤな季節でもあります。

卒業や入学また社会人としてのスタート等々・・・

確実に時間は流れていきます。

が、自分の子どもはその時間の中にはいないのです。

桜を見るとそんなことを考えてしまうので、桜は苦手という参加者が多数おります。


今日も、少人数のグループに分かれて【わかちあい】の時間を持ちました。

参加者は皆心のガードを取り払い、本音で語り合います。

  


それができる場所があんじゅなのです。

語り合う中で、涙もあります。

そして笑顔もあります。

笑顔?笑う?・・・そうなのです。



あんじゅでは、どんな話もOKなのです(もちろん他者を傷つける発言は論外ですが)

ここでの2時間があるから、(あんじゅ以外の)外の世界でも、この700倍以上の時間を過ごすことができるのです。


外の世界には数多くの地雷があります。

私たちは、日々地雷を踏まないように避けています。

       


が、時として思わぬ場所に隠れていた地雷を踏んでしまうことも。

もうこれ以上傷つくことがないように、

せめて、分かっている地雷を踏まないようにしたいですね、


また5月にお逢いしましょう!!


#地雷 #イヤな季節







3月のあんじゅ

 今日のあんじゅも(いつもそうですが)

とても貴重な、何ものにも代えがたい2時間となりました。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

あんじゅがあるから、こうして存在していられる。

あんじゅが心の支えになり、強い気持ちになる。

安心・安全な場所なので、想いのままに話すことができる。

こんな場所は他にない。


参加者からこのような声がいつもあがります。


今日も、少人数のグループに分かれてわかちあいの時間を持ちました。

あるグループでは、【子どもの名前の由来】が話題となり、

     

それぞれの話を聴きながら笑顔になったり、胸がいっぱいになったり・・・


親はいつか必ず見送る時が来ますし、

また連れ合いもどちらかが先に逝くことになります。

が、子どもは??

子どもが自分より先に逝ってしまうなんて、

世間の常識から非常に大きく外れています。

私たちは、自分の意思にかかわらず『常識の外』に位置しているのです。

ですから、今さら常識に囚われることはありません!

それより、私たち自身の気持ちや感情を大切にしましょう。

イヤだと思うことはしないで、これ以上自分を傷つけることがないように、

自分自身を大切にして、また1ヶ月過ごしましょう!


#自分自身を大切に #常識


あんじゅ参加者からのメッセージ

暑い日が続きますがいかがお過ごしですか... 明日は8月のあんじゅ活動日です。14時に会場でお待ちしていますので、ぜひご参加ください。  直前となりましたが、「あんじゅ」に参加してくださっているAちゃんパパから、ご自身の思いを丁寧に綴ったメッセージをいただきました。 「出身地や名...