自分にとってあんじゅが大切で必要なことは、あの子がもうとうに居ないことと同様、私にとっては当たり前のことだ、そう思っていた。
だけど、先日久しぶりにやっと参加出来たあんじゅのわかちあいの場で、自分にとってのその必要の強さの度合いは、当たり前とか、そういう平易な度合いではないのだと痛い程思い知ることになった。
あの子が私を置いてきぼりにして死んでしまってからもう10年以上が過ぎた。
以来、「かなしみ」というものは、緊迫感とか質とか深さとか‥‥様々、姿を変えるものだということを知った。そしてかなしみは、様々な姿をしてずっと私のなかにいる。
あの子が死んだ、それ以上のかなしみはないのだけれど、その緊迫感の強さでそれに近いかなしみと苦しみが長い間あった。それは、私と共に残された、あの子の姉までもを失ってしまいそうな状況がもたらすものだった。
当時のその絶望的な状況を、当時のあんじゅのわかちあいで皆さんに告白することが出来たこと、そしてこれ以上無い程親身で的確な助言を貰ったこと、その後結果的に乗り越えられたこと‥‥どれも、また、あんじゅのおかげだ。私は、あんじゅに恩義がある。
その恩義とともに、当時のあの苦しい状況を忘れたことはない。そもそも、忘れられっこない。
ある意味で、あの子の姉は私以上に、あの子の死でぼろぼろになっている。未だに精神科の通院と服薬が欠かせない。
生き残ってくれた、そしてこうして今も何とか生きていてくれるあの子の姉のことも、日常の波の中で過去の記憶の範囲に場所を移し、もしかしたら私の中で当たり前になっていたのかも知れない。
だけど、久々に参加できたわかちあいで、残されたきょうだいのことも、どんなにか心配し、親として強く思い続ける方々がいた。
どんなに辛いだろう、苦しいだろう‥‥。死んでしまった子へのかなしみをかなしむことすら出来ないほどの、つらさや苦しさだろう‥‥
当時の自分のことが瞬時によみがえってきたのは言うまでもない。
そして更に強く私に押し寄せた感情は、生き残ってくれた、そして今も生きてくれているあの子の姉への、親としての思いだった。
わかちあいに毎回遅刻し、その上2ヶ月ほどわかちあいに参加することが出来なかった理由は、通常の仕事もあるが、それ以外に増えた日常的な困難だった。それは始めるまえからわかっていたので、何とか頑張ってやっていた。
だけど、やっぱり心身共にきつかったのかもしれない。時間や労力を注ぎ続けるばかりの日常。
先日のあのわかちいあいで、やっと、やっと、開始時刻から参加出来、そんな日常から離れて、あの子とそれを考えることに身を浸せることが出来た。
でもそれだけではなかった。
共に残されたきょうだいを思ってどんなにか辛く苦しいだろうかたがた、その話に触れて、
私は、あの子の姉への、押し寄せるような「大変だったよね。今でも大変だよね。それなのに生きててくれてありがとう」そんな気持ちが押し寄せて、なんだか泣けて仕方がなかった。
後から、日々をやり過ごすことで精一杯の日常で、子供達のことへの思いに静かに身を浸すことも無かったんだろう、だから言い意味でも悪い意味でも泣くことも無かったんだろう、と、やっと気付くことが出来た。
わかちあいの時間は、いつも気付けば早々に終わりを告げるので、そんなに長い間泣いていた訳では無かった筈なのに、不思議なことに翌日ずっと私の両目は腫れていた。でもその理由はすぐにわかった。
私は、久しぶりに、深く深く泣いたのだろう、あの子達を思って。
腫れた目で、そして、あんじゅがこんなにも自分に必要なことも、痛い程またわかって、鏡の中の自分に笑いかけた。
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