思うこと

 

前回、ここで二次被害について書いたが、もう少し続ける。
・・二次被害の矢にさらされている・・(前回のブログより)
矢には2種類ある。
ひとつは、①ギザギザナイフのような矢。
もうひとつは、②真綿でくるんだアイスピックのような矢。
行政センターの職員が放ったのは①の矢だ。
私の心を、(一つ一つの傷は深くはないが)ひっかき傷だらけにした。

そして②の矢。
真綿でくるまれているので、一見【矢】には見えない。
しかし、アイスピックなので私の心を深く深くえぐった。

娘が自死したことを、すぐ友人に話した。
彼女には、これまでの経緯を全部話していた。
娘のことだけでなく、私自身のことも細かく知っていてくれた。
娘が亡くなり2か月ほど過ぎたころ、電話でこう言われた。
「気の毒だと思う」
エッ!?気の毒?
今まで彼女とは対等の立場のつもりだった。
確かに、私が色々話を聴いてもらうことが多かった。
が、気の毒・・・って。
私はそんなに惨めなの?
何故そんなに上から目線の物言いなの?
私は、彼女に同情を求めたわけではない。
私に共感し、寄り添ってほしかったのだ。
彼女は、私に矢を放つつもりではなかったのだろう。
しかし、気の毒という一言は、真綿を突き破り
鋭いアイスピックとなり、私の心の深部をえぐった。

彼女とは50年来親しくしていたが、このことがきっかけで
絶縁し、連絡先も全て消去した。
半世紀以上親しくし、何でも分かってくれると思っていたが、
そうではなかった。
今なら、彼女は私の話が重かったのかもしれないと考えられる。
でも、アイスピックの傷は決して癒えることはない。

彼女とは絶縁したが、私にはあんじゅの仲間がいる。
共感し寄り添ってくれるあんじゅ。
あんじゅに参加できれば、私には友人・親類は一切不要だ。
安心して本音で話ができる人・場所以外はいらない。
50年来の友人・生まれた時からの親類より
私にはあんじゅが大切。
あんじゅがあるから、私はここに存在している。


思うこと

私は、大切な・かわいい大好きな娘を自死で喪った。
もう10年以上が過ぎたが、その間には色々と辛く耐え難い思いをした。
昨日まで元気だった娘が、突然死んでしまった。
100あったモノが、急にゼロになってしまった。
とても受け入れられない。
何故 なぜ ?????
そんな状態の中、(詳しいことは失念したが)ある手続きに書類が必要になり、
横浜駅の行政センターへ行った、
娘の生年月日を記入する欄があったので、「娘は亡くなったのですが・・・」と。
すると職員が「死んでも(亡くなってもだったかも)誕生日はあるでしょ!!」
茫然自失・へたり込みそうだった。
確かに死者であろうと、生年月日はある。
生まれたからこその死なのだから。

あんじゅに参加するようになり、同じような体験を聴き
私だけではないのだと実感した。
こうして私たちは傷ついている、傷つけられている。
まるで、傷口を押し開き塩酸をかけられたように。

これは、まさしく二次被害だ。
役所の職員を責める気持ちはない。
業務でお忙しい中、配慮してほしいとは思わない。
「そのようなことが二度とないよう善処します」なんて必要ない。
元々行政になんか期待していない。

私たちは、子どもを喪い、言い尽くせないほどに傷ついている。
そして、二次被害の矢にさらされている。
傷を共感してくれるのは、あんじゅだ。
あんじゅに参加している私たちは、1ヶ月に一度の2時間が
自分を取り戻す大切な時間なのだ。

二次被害については、また機会をつくり書いていきたい。


3月のあんじゅ

 

昔から「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言われていましたが、
この慣用句・ことわざはもう通用しないのでしょうか・・・
今日も突風や雷雨があり、まるで嵐のようでした。
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外は春の嵐でも、県民センター第2相談室では温かく優しい時間が流れていました。

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★お墓をどうするか・どうしたかという話題が出ました。
各自それぞれ状況が異なり、
早めに納骨した、分骨した、手元に置いている
また海洋散骨した・・・とさまざまです。
いずれの場合も大切なのは、私たちの気持ちです!
自分の気持ちに素直になり、「こうしたい」と思い、
納得できるやり方で決めたいですね。

★何年経っても、ふとした折に自責の念に駆られる。
その思いをこうして話すことで気持ちが楽になる。

今 目の前の1分・2分を生きていきましょう!
イヤなことはしないで、自分を大切に自分を慈しみましょう!
        kosodate_nadenade_naderu_girl.jpg
自分で自分を【イイこイイこ】しましょう!

今日は、男性の参加がありました。
初めは、緊張気味で硬い表情でしたが
終了するころには、いつの間にか笑顔になっていました。
これがあんじゅなのです。
安心・安全な場所で本音で語ることができるあんじゅなのです。
私たちにとって、大切なとても大切な素晴らしい空間なのです!

明日は気温が急降下するようです。
体調管理に気をつけて、またお逢いしましょう (^∇^)ノ




たったひとりではないこと

また3月のその日が来て、今年は東日本大震災から13年が経過した。
見るともなく点けていたテレビが、今年もまた特集の番組を放映している。
大切な人をうしなったかなしみは、何年経とうと、
そしてその日だけが特別にかなしいとか思い出すとか、
そういうことでは決して無いことを知っている自分は、
こういう決まり行事に抵抗感がある。
でも、そうでもしなければ、
忘却という残酷な人間の性があまりにも大きな悲劇を簡単に忘れ去る現実に、
せめてその日だけでも繋ぎ止めるための手段のひとつなのだろうとも思う。

こんなことを思いながらテレビの内容とは別の事に気を取られていた私の耳に、

「たいせつな人をうしなってしまったあなた、
あなたはたったひとりではありません。
私たちがここに居ます。」

というナレーションが入って来た。

これは、福島で13年目を迎えた遺族のかたがたが、
今年初めの地震で被災し家族や親しい人を亡くした能登半島地震の遺族のかたがたへ向けたメッセージなのだという。

天変地異という突然の理不尽な暴力によって
突如として自分の意思とは全く無関係に命を奪われてしまった人々と、
みずから命を絶ってしまったわたしのあの子とは、
その死の形や意味合いは全く異なる。

広く大勢の人々の共感が可能である喪失と、
私以外、ほとんど誰も知らないし共感もされない喪失では、
あまりに大きな違いがあって、私の本心は前者の喪失に時折羨望すら感じてしまう。

だけど、
何故だろう、この言葉はそのまま自分の胸に染み込んできた。
そして次の瞬間わかったのだ。
私にも、そう言ってくれる場所や人々が確かにあって、
それは、「あんじゅ」という場所で、そこで時折会える人たちなのだということを。

たったひとりではないことが、こんなにうれしいなんて。

思うこと

 

先日「思うこと」として、行政への不信を書いたが、

その行政とあんじゅの関わりについて書いていく。


自治体は、年間自死者数の増減に一喜一憂しているが、それほど

重要なことなのか?

「自殺大国・日本」の不名誉なレッテルをはがしたいのか?

そのために色々手を打っているようだが、そんなことで自死者は減らない。

有名人の自死記事の後に、必ずおまけを付けたり(困った時の電話相談等)

ゲートキーパー養成講座を開いたり・・・

そんな小手先の対策では全く意味がない。

諸悪の根源である、この社会・制度が変わらなければ!


以下は、別の場所で書いたものだ。

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横浜市に限らず、神奈川県もどこも今ある社会そのものに問題があるとは考えていない。

これを象徴する記事が新聞に記載されていた。

不登校・フリースクールについて地方首長の発言。

こぼれたごく少数の人にスポットを当てて・・・

これを読んだ時「あー やっぱり!」

学校という立派な器からこぼれた不登校生徒。

社会という、これまた立派な器からこぼれた自死者。

こぼれたと言い切る傲慢さ「あー やっぱり」

器に不具合があるのでは・・・とは1ミリも疑わずに、

対策に奔走する(ふりをする)今のこの社会・行政。

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もう一度断言する。

器が、社会が変わらない限り自死者は増え続けるだろう。

一朝一夕に変えられないのは分かる。

長い年月が必要だろう。

だが、その前に行政が今できることはある。

それは、自死遺族となってしまった私たちとしっかり向き合うことだ。

私は、幸いなことに「あんじゅ」という安心・安全な心やすまる場所に参加している。

(あんじゅの素晴らしさについては、毎月の活動ブログや思うことでも書いている)

もし、あんじゅに出会えていなかったら・・・私は・・・??

今もまだ独りで苦しんでいる方がいるかもしれない。

どうしようもなく辛い思いを抱えている方が。

そんな方に、あんじゅを伝えたい。

ここには仲間がいます、あなたは独りではありませんと伝えたい。


が、現在あんじゅは行政とほとんど関わりを持っていない。

そのため?前述した伝えるための手段に予算が付かない。

具体的には、わかりやすいホームページを作りたいのだが、なかなか叶わない。

行政に、あんじゅと同じことができるとは考えられないし、期待もしない。

私たちあんじゅ参加者にとって、あんじゅは絶対に必要な安心できる場所だ。

【独りぼっち】の方にあんじゅを伝えたい。

行政が今できることは、あんじゅに参加者にしっかり向き合うことだ。

あんじゅが行政とほとんど関わりを持っていなくとも。




8月のあんじゅ

あんじゅが開催される県民センターは、横浜市にあります。 ここ横浜市は、今日も熱中症警戒アラートが発表されました。    が、この暑さの中でも、あんじゅでの時間を求めて 仲間が集まりました。 私たちにとって、あんじゅは唯一無二の場所なのです。 炎天下の木陰のように、 こころ安らぐ大...