思うこと


8:52 (9 時間前)
少し前に、また自死のニュースが流れた。
ニュースで聞こえて来たその人の名前はあの子の名前と発音が同じ。歳も近い。
反射的な動揺はやはりあるが、
それとは別の気持ちが、やはりまた湧き上がって来てしまった。

“ この人は多くの人からその死に、こうして注目や関心を寄せられているけれど、
あの子は死ぬ前も死んでからもずっと孤独。
たとえ死んだあとであっても、せめて、少しでもこうして、誰かから見つめて貰えたらいいのに。 ” という気持ちだ。

これは、決して口に出すことは出来ないけれど、
こうしたことがあるたびに、心の中に湧き上がって来る感情だ。
でもいつも自分でそれに蓋をして、過ぎ去ってくれるのを待つ。

あの子はずっとひとりぼっち。だからせめて私だけでも、あの子のそばに居よう。
もうその姿かたちはこの世に無いのだけど。
そんな風にいつもやり過ごす。

だけど、
こういう思いをしているのは私だけでは無いのかも知れないとも思う。
あんじゅや、そして世間に、ぽつんと居るような気もする。

ぽつんと居るかも知れない、その人のそばにも、居たいとも思っている。

気づいたこと

       自分にとってあんじゅが大切で必要なことは、あの子がもうとうに居ないことと同様、私にとっては当たり前のことだ、そう思っていた。   だけど、先日久しぶりにやっと参加出来たあんじゅのわかちあいの場で、自分にとってのその必要の強さの度合いは、当たり前とか、そういう平易な度...