また3月のその日が来て、今年は東日本大震災から13年が経過した。
見るともなく点けていたテレビが、今年もまた特集の番組を放映している。
大切な人をうしなったかなしみは、何年経とうと、
そしてその日だけが特別にかなしいとか思い出すとか、
そういうことでは決して無いことを知っている自分は、
こういう決まり行事に抵抗感がある。
でも、そうでもしなければ、
忘却という残酷な人間の性があまりにも大きな悲劇を簡単に忘れ去る現実に、
せめてその日だけでも繋ぎ止めるための手段のひとつなのだろうとも思う。
こんなことを思いながらテレビの内容とは別の事に気を取られていた私の耳に、
「たいせつな人をうしなってしまったあなた、
あなたはたったひとりではありません。
私たちがここに居ます。」
というナレーションが入って来た。
これは、福島で13年目を迎えた遺族のかたがたが、
今年初めの地震で被災し家族や親しい人を亡くした能登半島地震の遺族のかたがたへ向けたメッセージなのだという。
天変地異という突然の理不尽な暴力によって
突如として自分の意思とは全く無関係に命を奪われてしまった人々と、
みずから命を絶ってしまったわたしのあの子とは、
その死の形や意味合いは全く異なる。
広く大勢の人々の共感が可能である喪失と、
私以外、ほとんど誰も知らないし共感もされない喪失では、
あまりに大きな違いがあって、私の本心は前者の喪失に時折羨望すら感じてしまう。
だけど、
何故だろう、この言葉はそのまま自分の胸に染み込んできた。
そして次の瞬間わかったのだ。
私にも、そう言ってくれる場所や人々が確かにあって、
それは、「あんじゅ」という場所で、そこで時折会える人たちなのだということを。
たったひとりではないことが、こんなにうれしいなんて。