6月のあんじゅ

 

青梅雨(あおつゆ)とは、うっとうしい梅雨時の雨を表現した素敵な言葉です。
が、そんな言葉と裏腹に、今日は雨を忘れてしまった夏のような一日でした。
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ご夫妻での参加もあり、とても充実したわかちあいとなりました。
あんじゅは【親の会】ですが、ほとんど母親の参加者なので、
父親の参加は心強く感じます。
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私たちのこころは深く傷ついています。
こころ・・・どんな臓器なのでしょう?
形のないものに処方する薬はありません。
傷ついたこころを労わることができるのは、私たち自身です。
どんな感情も、自分自身の一部です。
感じたことを大切に、自分を認めて!
こうして生きていること、それだけで私たちはエライ!!
    kosodate_nadenade_naderu_girl.jpg 自分で自分を褒めてあげましょう❤❤
あの子がいないのに、こんなに生きている私。偉いでしょ!!

過去や未来を見るのではなく、今この時・この1分を生きていきましょう。
1分が1時間に、そして一日に1ヶ月に・・・
イヤなことはしないで、自分を認め大切にして「今」を積み重ねて。

私たちには、あんじゅがあります。
どんなことも話すことができる安心・安全な場所です。
ここがあるから、外の世界と接点を持つことができます。
外の世界のヒトビトと接すると、辛い思いをすることもあります。
そんな時「あんじゅがある」と思うだけで気持ちが落ち着いてきます。
また来月、心のガードを解く2時間を!


6月の虹のかけはしオンラインわかちあい

 

今月末で今年の半分が過ぎたことになりますが、皆さまいかがお過ごしですか…
 ひとつ前のYさんのブログ「どんなにかなしくても」にしみじみと涙した私。 
当然のことですが、時の流れと共に気持ちも変化していきます。大切な人との突然のお別れは!悲しみよりも前に現実を受け入れられずに驚き畏れ…拒絶、絶望そして自責と自罰!こんな言葉では言い表せられない思いでした。
 ところが時薬(日にち薬)人薬にも助けられて、目の前の時間を凌ぐようになんとか過ごしてきましたが、息子の居ない日常が当たり前になればなるほど、悲しみはより深いものになっているのも改めて感じています。

 もう3日前になってしまいましたが、「虹のかけはし オンラインわかちあい」は、男性の初参加の方もおられて、心あたたまる時間となりました。 
参加者のお二人からメッセージをいただきましたので、お読みいただけると嬉しいです。  南山

 ☆2ヶ月ぶりの虹のかけはし分かち合い、とても心待ちにしていました。 息子の誕生日が近いせいか、気持ちが沈みがちでした。誰にも話せないこの気持ちを早く皆さんに会って聞いてほしいと思っていました。 うまく伝わったか分かりませんが、今思っていることを自分なりに話せたと思います。
 話せたことでだいぶ気持ちが楽になりました。 皆さんの前向きな生き方を聞いて、また生きていくことに勇気づけられました。
 前を向いて生きていいんだ、と思えました。 
まだまだ気持ちが浮き沈みすると思います。 多分一生すると思います。
 またよろしくお願いします。 
今日もありがとうございました。 

 ☆昨夜はありがとうございました🙇 そのままの自分でいられる場所 
いつも提供していただいて感謝しています 
zoomは遠くの方々とも繋がれるのでやはり続けて欲しいです✨
 よろしくお願いします☺ 

 いただいたご感想は以上ですが、ご参加くださった皆さま、ありがとうございます。
 いつも応援してくださる皆さまにもありがとうございます。 
 「虹のかけはしオンラインわかちあい」は、偶数月第1木曜日となりますので、2ヶ月後の真夏になります。 
その前に梅雨もありますし、体調を崩される方も増えておりますので、くれぐれもご自愛くださいませ。 
日時:8月1日19:30〜21:30
 対象:家族を自死で喪った当事者 
参加費:無料 
参加方法:zoomでのわかちあい。 
お問合せ・お申込み:詳細はhttp://www.anjyu.net/info/ こちらよりお願いいたします。

どんなにかなしくても

 

あの子をうしなって以来、決して望んでは居ないのに継続してしまう日常生活のなかに、

更に、決して望んでは居ない地雷が数えきれないほど埋め込まれていることを思い知らされた。

誕生日、入学式、卒業式、あの子と一緒に歩いた道‥‥‥

その日の気配を感じたりその光景を目にするたびに、不意に地雷を踏んでしまう。

ああ、もうすぐあの子の誕生日、

街なかで正装した親子連れが行き交う入学式シーズン、

今日は卒業式なのか、袴姿の女の子達が歩いている…

そうした光景が不意に視界に入って来る度にあの子を思い出して感情がこみあげて来る。

でも、

そんな月日が長く続いてもう10年以上も経った近ごろ、

こうした地雷にも変化があることに気づいた。


以前は、誕生日やセレモニーや具体的な場所など、 “わかりやすい地雷” が多かった。

だから、事前に心の準備をしてそれを踏まないように避けることが出来るようになっていった。

しかもそれが年月と共に段々上達していった。

だから少しずつ楽になっていたような気がする。


だけどその一方で、

“わかりにくい地雷” というものがあることに近頃気づきはじめた。

 

それらは具体的なセレモニー等とは無縁の、ほんのちょっとしたささやかなものだ。

それは曲のフレーズの一部だったり、マイナーな作家のかなり古い小説の背表紙だったり、

TVの映像に突然映し出される地方の景色だったり…と、

わかりにくくてほんのちょっとしたものばかりだ。

そういう地雷もかなりあって、しかもそれらは避けることが難しい。

出くわして踏んでしまうと、やはりたちまち沸き起こる感情の波を抑えられなくなる。

 

だけどそうした、“わかりにくい地雷”  を踏むたびに近頃気づいたことがある。

かなしみの度合いや深さは以前と決して変わらないのだけれど、

そのかなしみが以前よりしーんと静かであること、

そして、そのかなしみの中で、

こんなにちょっとしたことなのにあの子にまた会えた、そんな気もして、

かなしみの中に、ほんのうっすらとした喜びの気持ちさえあるように思えることだ。

 

どんなにかなしくても、その中にあの子との思い出があって、

その思い出のなかであの子とまた会えるのならば、どんなにかなしくても構わない、

そんな風に近頃は思っている。


Y


10月のあんじゅ

  異常に暑く長かった夏が終わり、ようやく過ごしやすい季節になりました。    今日はあんじゅが開催される日なので、ワクワクしながら参加者が集まりました。 自死遺族のつどいに、ワクワクという表現はふさわしくないかもしれませんが。 私たちにとって、あんじゅは1ヶ月に2時間素の自分に...