6月のわかちあい

今月のわかちあいもオンラインで行われました。

参加者は7名でした。

 

「自分の恨みなどの感情をぶつけたい人が実際居て、

 その人に対して浮かんで来る恨みの感情がある。」

「それはしょうがないし、それが当然だし自然。

 それを否定する必要はない。

 自分の感情と共にあることはとても大切。」

 

「被虐待児だった自分は“自分の中の子ども”が育てられていないまま

 親になってしまい、子育てをしてしまった。

 そんな自分に育てられた子供が社会不適応になり、

 挙句の果てには自死してしまったと考えている。」

「被虐待児が親になって子育てをする場合

 リスクは確かに高くなる。

 しかし、だからと言って

 そういう親に育たられた子どもたちが

 皆自死してしまったりするだろうか?

 子どもたちは皆ひとりひとり違う。

 どんなに過酷な育てられかたをしても、

 それをバネにして生きて行く子供もいる。

 虐待を受けて来ても自分の人生を諦めず、

 子供を持って、その時その時懸命にやってきた。

 そういう自分を責めなくていい。」

 

「(亡くなったお子さんは)寿命だったんですよ。」

 と言われた時は、何と酷いことを言うのだろうと思って聞いたが、

 今はその言葉に支えられているような気がする。

 

「(あの子は)死ぬことによってしか生きられなかった」

 

「(あの子は)こんな社会に適応しようとしてまでは生きなかった」

 

「“無償の愛”というのは、親から子への愛ではなくてむしろ、

 子から親への想いこそ、無償の愛である」

 

「亡くなった子が残していった車の処分をすることの、

 気持ちの区切りがようやくついたが、

 そのための一連の手続きを行う上でとても様々な思いをした。

 そのことを今日話すことが出来て良かった」

 

「泣くのはここ、と決めている。

 たったひとりきりで泣くこと自体が怖いと感じることがある。

 周囲に自分と同じような人が居てくれる場所で泣くことが出来る。

 そしてそういう涙が自分には大切だと思う。

 そして、話をして聞いて、力を得られる気がする。」

 

「いつもギューッと緊張しているのが、柔らかくなる感じ。」

 

「ここでは自分の素が出せる。素で話すことが出来る。

 我が子の死から数年経った近ごろは、

 人に我が子の話をしたくてもためらうことがある。

 でもここでは出来る。何年経っても。」

 

「自分にとってあんじゅは“実家”。」

 …‥‥‥‥‥

 

今月も沢山の宝物のような言葉が交わされました。

こうして書き留めることが出来たのは、

そのうちのほんの一部だと思います。

 

そして、参加者から以下のメッセージも寄せられました。

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昨日は、ZOOMあんじゅ ありがとうございました。

心のモヤモヤ・ドロドロを皆さんに聴いていただき、

気持ちが晴れやかになりました。

 

来月のあんじゅ・7月の第3水曜日はとカレンダーを見たら

エーッ!!721(;´Д)

71日が木曜日だからなのね。

1か月以上も先 待ち遠しいなぁ。

昨日 お逢いしたばかりなのに、早くも来月を楽しみにしている私です。

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私も、オンラインではあっても、次回のあんじゅを心待ちにしています。

 Y

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