今月のわかちあいは、9名でオンラインで行われました。
久しぶりの参加、しかも遠方から、というかたもいらっしゃり、
直接会ってわかちあいが出来ないことの残念さはありつつも、
こうした良さがやはりあるなぁと感じました。
・秋が深まるこの日暮れの早い季節、やり過ごすのが辛い。
・これから訪れる恒例の華やかな年末年始、楽しそうな家族、
親子連れを目にすると思うと気持ちが重くなる。
・子どもを失ってひとり暮らしだが、そういった年末年始をどうやってやり過ごすか。
・自分には、大切な我が子をうしなった気持ちや思いを語れ、共有できるこの場があるが、
そういったものを持たない、大切なきょうだいを失った立場である子の、
ずっと抱えていた思いや辛さがある。
…といった話もあり、また、本や映画の話もあったようです。お勧めの本の紹介もありました。
他にも、家族に関する話では、
・子どもを失って共に残された家族が居るが、その家族のことで辛い。
そんな時は特にあの子が生きていてくれたら、と思う。
・高齢で認知症の祖父母に孫が自死したことを知らせるべきかどうか悩んでいる。
というものが挙げられました。
それらに対して
→家族は厄介なもの。辛くなるもの。そういうものから逃れていい。
“あの子が生きていてくれたら…”という思いを、自分自身を助けるように使う。
→認知症の場合難しい面がある。真実を伝えることで状況を悪化させてしまう可能性もある。
本当のことを言わないことは、嘘をつくことにはならない。
‥‥‥といった暖かい言葉を聞くことが出来ました。
他にも
・近ごろ亡くなった作家の言葉に「往生」というものがあって、死んでそれで終わりではなく、
あちらの世界で生きているという意味がある。
・「無」、「無い」、ということは、それこそ無いのではないか。
亡くなってしまった子供たちは心のきれいな子ばかり。
亡くなってそれで全てが終わったのではなく、こんな汚い世の中ではなくて、
きれいな世界で生きているのだ、と考えている。
・「I love you」を訳すとどういう言葉になるだろうか?
→あなたが大切。あなたが宝物。あなたは他に取り換えのきかない唯一無二のもの。
・この秋の晴れ渡った青空を見上げて、かなしい気持ちになる。
そのかなしさは、愛する人をうしなったかなしみを知るひとでないと、わからない。
‥‥‥そんな話がありました。
こうした話は、普段の生活の中では決して口に出したり出来ないもので、自分の内側に埋めて置くことしか出来ず、そんな自分を世の中でたった独りきりのようについ感じてしまいます。そういった辛さもあると思います。
ですが、あんじゅのわかちあいでは、そんな心の中の氷の塊のようなものが、温められてなくなってゆくような思いをしています。
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